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逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

死にたくないんだけど「お前なんか生きる価値ないよww死ねよwww」←確かに。 と思ってしまう心理状態。

死にたくない。死にたくないんです。

ただ、「死ななくてもいい自分の中で説得力のある理由」が崩壊している。

 

「死ななければいけない説得力のある理由」がぼろぼろ出てくる。

ネット上では、タイトルのような煽り文句も時々結構頻繁に見る。

そういう人たちが、実際に自殺するよー、という人に対して慌てるかというと、「迷惑かけんなよ」「ウケるwwww」と実況を始める様などを見ると、実に……

 

道徳とか、感情論での「命は尊いのでどんな人間でも生きていていい」という論の信憑性が掻き消える。

 

じゃあネットを見るな、と言われても、残念ながら、ネット以外での外部との接触が困難(そもそものきっかけがない・方法を知らない・対面による会話が致命的に苦手)である為、ネットを絶つと外部との関わりが消えて本当にヤバい(消え失せる語彙)。

 

極力、そういう言葉のないコミュニティを探そうと(しかしそこに参加する能力はないので眺めているだけだけれど)はしているのだけれど、それでも、そういったコミュニティに対しての風当たりとして上記の言葉を見てしまうことも多い。

 

そもそも、一度目に入ってしまえば頭に残ってしまう上に、「死ぬべきでは?」という思考に自ら陥ってしまった際に、反証を自分で生み出すことが出来ず、ネットに反証を求めると逆にそういった言葉を読んでその喜ばしくなさすぎる仮説を裏付ける方向に理解が進んでしまう。

 

ごめんなさい。死にたくないんです。ごめんなさい。

 

出来れば、こう、もっと、「だから死ななくても良い」という言説がたくさん欲しい。

罪悪感に殺される。

 

 

もしくは、「だからいらない人間は死ぬべきである」という論を昇華させて、安楽死制度を整備してください。嫌だけど。死にたくないけど。あー、やっぱり死にたくないな。怖いな。

 

 

現状の「生活保護」は、生活困窮者を保護する為というよりも、「生活困窮者を見殺しにする」という罪悪感から人々を保護する為にあるように思う。

そうでなければ「生活保護を受給する奴はクズ」「生産性のないやつは存在する価値がない」なんていう論調は存在しない。

そういう論調を繰り広げるのであれば、そもそも生活保護という制度自体がナンセンスだ。ただ、生活保護をしない、ということになると、確実に餓死せざるを得ない人がたくさん出てくる。(現状も、生活保護が必要なのに受けられない人は餓死をするしかない。これは、保護をする為ではなく、「保護をしている」という建前が欲しい為だと思う。)

 

まあ、そういう選民思想ってめっちゃナチスなんですけど。

道徳的価値観が無視される様を見すぎて道徳的価値観の正当性を信じることが出来ない今、道徳的にアウト、という点が、とても根拠として薄く感じるというか。

個人的な感情としては「嫌」だと思うのですが、(おそらく)自己肯定感の著しい欠如により、自分自身の「嫌だなぁ」という感情の価値が地に落ちている。

 

 

ああ、でも、死にたくない。死にたくないです。許してほしいです。

 

宗教って、そういう、生きていていい、とか、そういう個人間では曖昧であり、論理的な根拠が求めにくいところの根拠を無条件に「神」という絶対的存在に委ねているから、強いなぁ。と、思う。

そして、そういうことを考えてしまう時点で、「神」の絶対性を信じ切ることができないので、宗教に救いを求めることは出来ないなぁ、と思う。

 

こういう記事を書くと、コメント欄とかに「いいから死ねよwwww」とかたくさん並ぶ妄想をして恐怖を感じる。そもそもそんなほどpvがないので基本的には杞憂なのだけれど。

もしも悪意のある人の目に留まって悪意のある人に拡散されたら?

怖い。

 

きっとそんなことがあれば私は腹を立てるだろう。

死にたくない。

 

死ななければと思っているはずなのに???

 

阿呆だよな。

死にたくないので死ななくても良い理由が欲しい。

 

本当、自殺予防策の為には「命の大切さ」なんてありきたりな言葉や「死ぬことのコスト」ではなく、「生きていても良い理由」や「死ぬべきとされている論理への反証」を並べて欲しい。たくさん。たくさん。

 

勿論それを他者に依らず自分の中で確立出来るのが一番なんだけれども。