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逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

全世界のすべての人と気が合ったら大変

考えること

全世界のすべての人と仲良く、というのは大変なことだ。

それは一見すると理想的に見えるけれども、

すべての人と仲良くするためには、一人ひとりと仲良くする

ために割く時間、思考、動作が、一人の人間にできる範囲を

超えてしまうし、全世界のすべての一人一人の人の死を悲し

もうとしたら、一分一秒余さず悲しみ続けていなければならない。

 

「知らないのだから」ということは大切だ。

知らないことが罪、というのはあまりよくないのではないかと思う。

 

ただ、偶然触れ合って、偶然目の前に話す機会があれば、

偶然にでもわかりあえればうれしいな、と思うし、

だから話を試みたり、聞こうとしてみたり、するのだけれど、

相手と自分の考え方が違うのならば、自分が相手の考え方と同じ

考え方に曲げるということができないように、相手も自分の考え方

と同じ考え方に曲げることはできないということを心に留めたい。

 

だから、お互いが傷つくと思えば逃げるということは大切だし、

攻撃しても意見が変わることはないし、違う意見が存在することを

許せないというのであれば、あらゆる手段によって抹殺していく世界

にしていくしかないと思う。

 

わたしは、そんな風に抹殺される世界も、抹殺する世界も、

嫌だなぁ、と思う。

 

わかりあえないのだから、わかりおうとしてはいけない、

というのも一つの考え方だけれど、

わかりあえないのだけれど、誰かとわかりあいたい、

というのも一つの純粋な感情で、

これを否定しなければならないのでは、と思ったこともあるけれど

それはそれで、自己の意見をゆがめる無謀な試みに過ぎなくて、

辛くなるだけだなあ、と思うので、やめたい。

 

わかりあいたい、と思うことは許してほしい。

けれど、わかりあうために意見をゆがめる、ということができない

ということ、気が合わない場合はそれは仕方がないので離れるしか

ない、ということは、わかってもらえると嬉しい。

 

わかりあいたい、と思ってはいるけれど、

全世界すべての人と気が合うことは望まないし、

全世界すべての人と気が合ったら大変だと思う。

 

「あなたとわたしはわかりあえない」ということを

理解して距離を置く、ということも、理解と寛容のうち

に含まれるのではないかな、と思う。