逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

毒は悪意を持っているとは限らない

「毒親だなんていうのは被害妄想の甘え」という主張を多々見ることがあり、胸が苦しい。

 

もちろん毒になってしまう人本人が苦しんでいるからこそ、そうした行為に出なければならなくなっている、同情の余地があることも知っているし、そもそも行為自体は客観的には悪いことではないのかもしれない。

 

例えそうだったとしても、だ。

 

相手を思っての行動だったとしても、

 

1.対処法として間違っており、相手にとって不利益が生じる。

2.相手がそれについて主張をしても、自分自身の行動を信じて主張を無視する。

3.自分が相手を思っているのだと主張し、何故理解できないのだと追い詰める。

 

例えるならば、病気で倒れた人に対し、民間療法を信じて間違えた治療を試み続け、病人の症状を悪化させ、悪化していると主張をされてもこれが正しいんだ!看病してもらっているのに文句を言うからきちんと看病出来ないんだ!としかりつけているようなもの。

 

毒であることと悪意があることは別だ。

悪意がないから許せ、好意からの行動だから許せ、というのであれば、ストーカー殺人が許されることになってしまうのではないだろうか。

極端な話ではあるが。