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逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

不幸な人を見ても自分が不幸になる義務はないのだと理解すること

自分よりも不幸な人を見ると罪悪感を感じる。

不幸な人にわたし自身の幸せを全て譲るか、それが出来なければわたし自身がただただ不幸になって寄り添わなければならない、という無意識の脅迫感。

自分と相手の不幸度合を見比べて、常に断罪の判定を考えたりする癖までついているから困ったものだ。

また、相手が声高に「不幸だ」と唱えていると信じてしまう。いや、実際にその人本人にとっては不幸なのだろう。不幸さを客観的な価値観で判断したところで仕方がない。

わたしが不幸になったところで不幸な人が幸せになるわけではないのだ。逆もまたしかり。

さて、この由来はどこにあるのか?

どうすれば克服可能なのか???

 

先日「恵まれない子供たちに」と募金を募られた際、「わたしも今お金がないので」と断ることが出来たのは、個人的にはとても良いことであったと思っている。

恵まれない子供たちはかわいそうだが、そのためにわたしが死ななければならないという義務はないのだ。