読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

〇「本当に死ぬ奴は死ぬ死ぬ言わない」×「死ぬ死ぬ言っている奴はほっといても死なない」◎「死ぬ死ぬ言ってる間に手を差し伸べないと何も言わなくなって死ぬ」

「本当に死ぬ奴は死ぬ死ぬ言わないから」っていうのは正しいといえば正しいのだけれど、死ぬ死ぬ言ってる間に助けてもらえないとある時急に死ぬ死ぬ言わなくなって死ぬ可能性は大いにある。

ただ、死ぬ死ぬ言ってる人に全力で手を差し伸べるとしんどくて差し伸べた側がしんどくなって死んでしまいかねなくなるので、「死ぬ死ぬ言ってる間は死なないから、傾けるエネルギーはそこそこでいい」という落としどころにしておきたい。

自分の中の男女差別問題について簡単で効果的かもしれないこと

色々と考えたりいろいろと見たり聞いたりした結果、やっぱり自分の中にも「無意識な差別」というものは存在しているし、一人一人の「無意識な差別」が寄り集まって差別が自然現象であるかのように蔓延しているのだろうな、と思ったので、自分でもできることを考えた。

 

主張したり、規制したりして、世界をがらりと変える力はないけれど、だからといって差別の本流に乗ってしまってはよくない。

 

まずは「女だから」「男だから」「女のくせに」「男のくせに」という言葉を使わない、というところから始めるのがよいのではないかな。

 

「女だから」感情の起伏が激しい

「女だから」色々なことに気づく

「男だから」料理ができない

「男だから」エロい

「女のくせに」部屋が汚い

「女のくせに」気が強い

「男のくせに」体力がない

「男のくせに」度胸がない

 

実際世の中に当たり前のように存在している言葉なので、真っ向からすべてを否定して批判してまわるのはお互いに疲れることだと思う。

まずは、ありとあらゆる状況において、自分が使わないこと、同調をしないこと。ここから気を付けていくことで、自分の中で「男女差別的考え方に対する自然な違和感」を育てていくことが大切なのかもしれないと思った。

 

実際、言葉にし、認識を共有していると、その空気感に慣れてしまう。

論理的に違和感がある、と感じていても、「でもそういうものだから」という思考停止の誘惑には抗えないし、抗い続けようとすれば疲弊し擦り切れる。

疲れずにできることがいい。

 

また、これは男女差別に限らず、本人が選んでそうしている属性以外に関しての「〇〇だから~」「〇〇のくせに~」という言葉をできるだけ使わないように心がけていきたいと思う。これは、否定する言葉だけではなく、肯定する言葉についてもそうだ。「〇〇だから」に対して肯定してしまうのは、その人個人にかけられるべき肯定を、その人個人から奪い取り属性に当ててしまうことになる。よいことはないと思う。

ただ、本人が選んでそうしている属性に関しては、また違う話になってくるのかな?

 

いや、「〇〇だから~」という言葉にも正当性があるケースはある、かな。「モンゴロイドだからお酒に弱い」とか、実際にそのことそのものが原因として起こる体質に関する説明なんかであれば、説明として「〇〇だから~」という言葉を使うのはあり、かな。

 

心構えの話。

元子供用ハーネス否定派として否定派批判に胃液が逆流した

子供用ハーネス、というものを、スーパーで初めて見た時は、

わたしは「ペットみたいだ」とテンプレのような嫌悪を感じた。

 

 

が。ツイッターで、子供用ハーネスが子供の命を守るセーフティ

として大きな役割を果たす、ということを知り、なるほど、と

思いました。知らずに否定していたことが恥ずかしい。

 

子供用ハーネス(迷子ひも)の必要性を感じた体験談

子供用ハーネス(迷子ひも)の必要性を感じた体験談 - きなこ猫のスッキリ生活

 

 ですが……

 

f:id:kanikaniusagi:20170103014714p:plain

 

↑わたしが見たことがある子供用ハーネス利用者は、こういう感じの使い方をしていました。子供が、紐でつっかかって、くんっ、ってなっている感じ。

他にも、「スマートフォンを見ながら子供を全く見ないでハーネスで引っ張っていた」というシーンを見た人もいるようです。

 

子供用ハーネスの正しい使い方を知らないと逆に危険な場合があります。 ハーネスの使い方は基本は手を繋いで、万が一の保険として使います。犬の散歩のようにリードを伸ばした状態で使うものではありません。

子供用ハーネス(迷子ひも)の必要性を感じた体験談 - きなこ猫のスッキリ生活

 

まさにこの文面の通り。

そして、この使い方しか見たことがなかったために誤解をしました。

 

確かに、自分のことに投影して、”子供を所有物のように扱う””子供の感情や思考力を無視する”という印象に過剰な反応があったことは認めます。

 

でも、それを、「自分がつらかったっていう部分だけを聞いてほしいんだから、ハーネスの正しい使い方を教えても否定し続けるんだよね」とか、そういう風に否定している言葉

(自分がつらかった経験から、他の子供もつらいかもしれない、つらい思いをする子が少しでも減ればいい、という考え方がぐちゃぐちゃのへどろになったような感覚(毒素が抜けてない故の過剰反応かもしれない))

 

だとか、

 

「ここまで説明されても否定派はどうせ理解しないんだろうな」という、更生を認めない言葉

 

「子供用ハーネスを否定するやつは最低」「ペットみたい、とか言って子供用ハーネスを否定するやつは○○してしまえばいい」だとか、そういう攻撃的で過激な言葉

(恐らく、「説明をしてもわかってくれない人」への批判なのだろうけれど……)

 

を見てしまい

 

寝ようと思っていたのに具合が悪くなってきたので、吐き出し。

 

「自分の子育ての時には是非使いたい。使う時は紐をつないだうえで手をつなぐけど」

そりゃ、手をつないだうえでの使用だったら、初めて見た時だってそんなに違和感感じませんよ!

 

「ハーネス否定してるやつなんて大体子育て経験ないんだ」

子育て経験はないですけど子供だった経験はあるから経験を元に心配したんですよ!

 

誤解していたことそのものも褒められたものではないですが、改心したにも関わらず、死体蹴りのように罵倒や、家庭事情に関わるトラウマをえぐる皮肉、人格否定、を目にすると、すごいもう悲しくて。

 

苦しくて。自己嫌悪で胃液が戻ってきたので。

 

いや、その悪意を勝手に受け取ってしまうことが自意識過剰、っていうのもわかっているんです。わかったうえできつかったんです。

気を付けること

わたしは、メサイアコンプレックスに陥りかねないと思っている。

気を付けたいので覚書程度に。

「なにしてるの」「どこにいくの」「だれにあうの」「なにしにいくの」

「なにしてるの」「どこにいくの」「だれにあうの」「なにしにいくの」

 

母や姉から向けられる、これらの質問が嫌だった。

 

<いやだと思った理由>

・どこに何をしに、という計画がなく、返答に困ることが多かった

*どこに行くか明確であれば聞かれなくても伝えている

・誰、と言われても共通の知り合いではない

→伝えると人間関係への干渉がひどかった

・「友達いたの!」という反応

・「彼氏?彼氏?」などという詮索

→上記2点を含む、「子供の成長を見守る」視線

  →行動をいちいち縛られているような気分になった

・それに伴う「見守り育てた功績」に酔っている顔

・なに、と言われても、相手の知らない内容であり説明が難しい

・あるいは行動を小ばかにして評価されることがあった

 

主に投げかけてくるのは母だった。

以下の会話がよく発生していた。

 

「ちょっと出かけてくる」

「どこにいくの?」

「なんで?」(とっさに聞いてしまい、しまった、と思う)

「なんで、じゃない!なんであんたはそうやってどうしてどうして聞くんだ!!理由がなくちゃ聞いちゃいけないのか!!!そういうところから会話が広がっていくんだろうが!!!ちゃんとコミュニケーションが取れないじゃないか!!!あんたがそんなんだから友達が出来ないんだ!!!」

「え、いや、何かついでに買って来るものがある、とかだったら寄って来るから聞こうと思って……」

「お前はいちいち理屈っぽいんだ!!!いいから聞かれたら聞かれたことに答えればいいんだよ!!」

 

というやり取りが多かった。

 

寄ってほしいところがあるのなら聞くよ、というのは本心であったので、この時、「特に決まってないけど、なんで?」と聞けばよかったのかもしれない。

ただ、後手にはなってしまったが、わたしは「なんで?」と聞いたことの理由を説明しているので、それを無視していることは、会話として一方的すぎるのではないかと思う。

いや、「特に決まってないけど、なんで?」と聞き返しても同じ反応をされたことがあった気がする。

 

考えていたら、段々と、わたしが悪いのかもしれない、という考え方になって胸の奥がもやもや苦しくなってきた。

けれど、わたしは、出かける目的が明確な時にはちゃんと「●●に行って来る」と伝えていたはずだ。言葉は下手だったにしても「ちょっと出かけてくる」というのは、「ちょっと出かけてくる」以外の何物でもなかったし、夜遅くなる時にはきちんと伝えていたので、つまり何も言っていないということは帰宅は夜にはならないのである。

理解しておいてくれ、と言ってしまうのは身勝手な常識的押し付けかもしれない。けれど、わかってくれるだろう、と思ってしまった勘違いのことについても、そんなに怒らないでほしいのだ。

 

何時に帰ってくるの、と聞かれて何故、と返したことはない。

誰と、と聞かれることに関してはとても困った。誰と言われても、あなたの知らない人だからだ。また、相手が男性であった場合、男性を含む複数であった場合の過剰反応はとても嫌いだ。友達と出かける、と言った時にも、「友達ができたのねぇえ~っ!」というリアクションをされて、とてもいやだった。

何をしているの、というのは、姉からよく聞かれたことだが、大体において、答えると「なにそれ楽しいの」「なにが楽しいの」と延々と鼻で笑われ続けたので嫌だった。

SMAP解散に関していろんな人がいろんなことを言う

SMAP解散に関して、ファンの人たちが署名をした事に対して、いろんな人がいろんなことを言うけれど、大きく二つの意見があって。

 

SMAPが解散をしたがっている

 

・陰謀の末に解散をしたがっているように見せかけられている

 

どちらが正しいのか、本人たちではないし、関係者ですらないわたしには正確なことはわからないし、色々な情報を見て想像しようとしても、どちらにも取れるように感じてしまう。

 

で、ファンの人たちの署名って、

 

・陰謀の末に解散をしたがっているように見せかけられている

 

という推論のもとで行われているのではないかと思う。

だけど、「本人たちが解散したがっているのに、解散するな、というSMAPファンはひどい」という批判が目に付くなぁ、と。

 

これは悲しいことだと思う。

 

「本人たちが解散したいと言っているのなら納得する。でも、きちんとした挨拶もないし、納得できない。本人たちが辞めたがっているわけじゃないのでは。」

 

という言葉も、たくさん見た。

 

それが正しいのか、間違っているのか、わたしにはわからないけれど、あまり強い言葉で、毒のある言葉で、攻撃的に批判をするのは、悲しいからあまりしてほしくないなあ、と思う。

「なぜなに」が「攻撃」になってしまう理由

考えること

計算式の順番が違うから、答えがあっているのに×にされた、という話が話題らしい。

また、テレビでそういったこと対して、「自信がない人ほど教えた手順にこだわる」という意見を、偉い学者の先生がおっしゃったそうだ。

 

で、その関連で、

「教える側は何を聞かれても答えられるまで知っていなければ教える立場になんて立ってはいけない」という意見を目にして、ああ、なるほど、と思った。

たぶん、そういう思い込みが教える立場の人の中に(自覚している、していないに関わらず)存在し、教える立場の人は聞かれることに追い詰められているのだろう。

「教える立場」にいる者に「わからない」ことなど許されない、と。

 

それが、「わからないことを聞くな」という怒りになるのだ。

だが、すべてを把握することなど不可能だ。

何故なら刻一刻とあらゆる物事が変化している。あるいは、変化しないかのように見える法則も、数式も、いつかは覆されることだってあるかもしれない。

地球が平らではないと明かされたときのように。

「すべてをわかっている」と断言できる時、それは、あらゆる未来を無視し、「自分がわかることだけがこの世のすべてだ」と定義してしまった時だけだ。

 

それでいいのだ。

 

それなのに、「わからない」ことは許されないということが、「教える立場」の人を追い詰める。

それでも、「教える立場」の人がその分野の専門家であり、「教わる立場」の人があまり好奇心を持たない場合、「わからない」ことを聞かれることは、ほとんどないことと言えるだろう。

 

さて、そうではない場合。

「教える立場」の人がその分野の専門家ではなく

「教わる立場」の人があらゆることに深く広く好奇心を持つ

それでも「教える立場」の人は「教える立場」を与えられている。

 

その状況は、恒常的に当たり前に存在している。

 

「親」と「子」の関係だ。

 

子は親に、ありとあらゆることを問いかける。

「あれは何?」「どうしてこうなの?」

 

全てを答えられるだろうか。

 

それでも「教える立場」だから「わからない」ことは許されない。

そうして追い詰められた結果が、「なぜなに」が「攻撃」として作用してしまうことであり、疑問を持つことの禁止であり、自発的な独自の学習手段の否定・受動的でシステム的な学習手順への固執につながるのでは。

結果、子供は「学びとは自ら求めるものではない」という認識を持つ。

 

他の子供たちがどうであったかはわからない。

けれど、少なくとも、私は子供の頃「わからない」ことは「わからない」と答えてほしかったよ。