逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

毒家のことについて語りたいけれどフラッシュバックが怖い

毒家を出たわけだけれど、毒家のことを考えると

フラッシュバックのような感じになってしまうので

毒家のことを思考から外すように努めざるを得ない。

賢い人になりたい。もしくは、楽しい馬鹿になりたい。

楽しい馬鹿はとても才能がいることだと思うので、

賢い人を目指したい。

考える癖があることと、純粋に思うままの行動が批判されたり

誰かの迷惑になることが多かったので、楽しい馬鹿になることは

わたしにとって賢い人を目指すことよりも難しいのではないかと

思う。

 

賢い人、というのは、きちんと考えて、むやみに傷つけない人だ。

 

自分の考えを持っていて、それでいて、違う考え方にも耳を傾けて

むやみに傷つかない人だ。

 

わたしはむやみに傷ついてしまうので、耳をふさぐことで自衛

している。今はそれで仕方がないとは思っている。

わざわざ傷つくことは自身を委縮させるだけだと思うから。

 

賢くなりたい。

そして、きちんと伝える言葉を持ちたい。

そうだ、わたしはずっと伝えたかった。

 

子供のころから、伝えたくて伝えたくて、あれこれと考えていた。

賢くなりたい。

 

楽になりたい。

「他の人の意見に左右されるな」という意見の人は

本当に、否定され続けても気にならないのだろうか。

自信に満ちた人に対し、何を言っても否定する、何をしても

馬鹿にする、何もしなくても批判をする、ということを

した場合の経過観察実験、というのはどこかでされない

のだろうか。

されないだろうけど。

下手したらその人の人生丸々台無しにしてしまうし。

生きるのがめんどくさくてたまらない

最近、生きるのがめんどくさくてたまらない

痴漢やセクハラを当事者として想像するときは「自分よりも力がありそうな相手」で想像した方が良い

たまに、男性が「それぐらいで騒ぐなよ。俺も女からエロい目で見られても気にしない」とか「もしも自分が痴女されたってそんなに騒がない」とか、そういう目線で話をされているのを見かけるけれど

 

「自分よりも力のありそうな」(抵抗できない可能性が高い・抵抗した場合逆上して殺されるかもしれない)相手から「君のことを性的にみているよ」とアピールされる状況を想像した方が良いと思う。

 

男女の差でいうと、圧倒的に、腕力で言えば男性が強い。

その感覚の差というのは計り知れない。

 

第一、「女性が男性をエロい目線で見る」ということと「男性が女性をエロい目線で見る」ということ、両者のイメージの差というか、「男はみんなエロい」という謎の同調圧力により、圧倒的に後者の方が広く許されており、オープンだ。

また、オープンであるがゆえに、「ブスが勘違いしてんじゃねぇよ」という言葉で警戒することさえ許さなかったり、「ブスでも女性器さえ付いていれば我慢してやる」なんていう非常にありがたくない事情によって、搾取自体からは逃れられなかったり。

つまりブスは襲われるだけ有難く思って警戒とかしてんじゃねーよ、みたいなことを平気でオープンにする人も結構いるわけで。

 

これが結構、見えてしまうと怖い。

もちろん、男性がみんなそうだ、とか、そういう考え方はしないけれど、一度意見が見えてしまうと、誰がそれを考えているのかということはわからない。

 

欲望があるということ自体は仕方がないけれど、それを直接向けられる可能性を、腕力のある相手から示唆されるのは、怖い。

予想以上に怖いと思う。

今の若者は今の高齢者ほど長生きしないかもなあ

人口比率の高齢化問題について。

どんどん高齢者が増えていき、高齢者への支援のために若者の生活が苦しくなり、やがて限界を迎え、今の若者が高齢者になるころには若者が高齢者を支える制度が瓦解して、という話。

を見て、今の若者が高齢者になる頃には、金銭的な余裕のなさから、寿命が短くなるのではないかと思った。

食えないのならば死ぬ。

お金がなければ健康に気を遣う食事や医療もままならない。

どうあがいたってそうなんだ。

結果、人口はがくんと減るだろうけれど、人口比率は解消されるのかもしれない。

人手がいなければ仕事がなくてもその分労働者がいないのだから労働力は余らないのかもしれない。

若者の比率が少ない、少ない、と問題を唱えていても、同時に「機械化で労働力はいらなくなる。将来的に仕事の数は減る。食っていける人は限られていく。」というのだから、そもそも人間の数を減らす必要があるのだろう。

 

悲しいなあ。

前の世代の為に我慢をして、次の世代の為に早く死ぬ。

それが望ましいのかもしれない、なんて思ってしまわざる得ない状況なのは。

親が邪魔をしなければ子供は育つ

(金銭的支援や生命維持に関わる補助を度外視した話として)

親が邪魔をしなければ子供はある程度であれば自力で育つ

 

という説を考えていた。

これは、「親」だけではなく、周囲の環境全て、と言い換えた方が

適切だと思う。

それは、わたしがかつていた家族の中で「親に甘える何もできない子供」という役割を求められ続けた結果、順応してしまった、というところにある。

 

例えば、

恥ずかしい話だが、中学生になっても、「お母さんのお膝に

おいで❤」とやられていた。もちろん何度も拒否を示したが、

とにかく何度も何度も、強要されるのだ。

 

仕事に出かける母親に、心配をかけるまいと笑顔で見送った。

母からは「お母さんがいなくてもさみしくないの!」という、

ショックを受けた声と顔が帰ってきた。

わたしは、母親が出かけるたびにさみしそうな悲しそうな顔で

見送る演技をする、という習慣を身に着けた。

 

朝、一人で起きられるようになりたい、と、自発的に目覚ましをセット

し、「自分で起きるから明日から、遅刻ぎりぎりになってしまう、など危なくならなければ起こさないでほしい」と頼んだ時。

わたしは目覚ましで目覚めることができ、喜んだ。このまま自力で起きれるようにしようと思った。だが、数日経つと、目覚ましがなる1分前に母親が起こしに来るようになった。

次の日から目覚ましの時間を少し早めた。すると、「起きる時間早くしたんだ」と言い、更にその目覚ましの1分前に起こしに来るようになった。何度も繰り返され、わたしは諦めて目覚ましをセットしなくなった。

 

子供のころからずっと、まともな大人になることが出来ないのでは

ないかと思っていたわたしは、少しでも大人になれるように頑張って

いた。

それは、「大人になれなくて困るのは本人」だからだ。

危ないことをすることもあるが、まず、死にたくはないし怪我を

したくはないので、本人なりに考えている。

 

子供は、本能として、育とうとする力をもっている。

 

そのため、環境に順応し、各々勝手に育っていこうとする。

その結果、犯罪行為に手を出し、アウトローな成長をしようと

することもあるだろう。

 

その、望ましくない成長を邪魔する、というのが、実際のところ

一番大切なことなのではないか。

 

親は、「育てるために何かをする」というよりも(それもプラスα

で出来れば望ましいのだろうけれど)「本人が育つ」ことをいかに

邪魔しないようにしつつ守るか、ということが大切で、それは

とてもとても大変で難しいことなのではないかな、と思った。

 

なんていうことを、子供時代に子供側の意見として考えていた。

それは、大人が、大人になってしまうと子供時代の感覚を失って

しまうからであり、「大人はわかってくれない」ということであり

「子供は何を考えているかわからない」であり、それ故、子供時代に

子供側の意見をしっかりと考えてまとめておくこと、子供時代の感覚

を、できる限り鮮明に覚えておくことが大切だと思っていたことから

なんだけど。

 

気が付くと、子供時代の鮮明な感覚は、いつの間にか忘れてしまったし、それどころか、記憶があやうい。もっと覚えていたはずなのに。

 

それに、「自分が子育てをするときに、子供の頃に考えた視点と

大人になってから考える道理を結び付けるために役立てよう」と

思っていたけど、今となっては自分が子供を育てることになると

いう状況は恐らくほぼないだろう。

未来のことは何事も断言できないけれど。

 

覚えていること、新たに考えたことだけでも、書ける時に書いていく。