逃亡日誌

毒家庭からいきなり逃げ出しブラック企業も退職して人生目途が立たないわたしの逃走日記。

暴力表現ばかりにさらされると暴力的になる危険性はあるけれど、ハーレムものを読んでもモテない。

よくよく考えたら あ た り ま え だ……!

 

暴力表現が肯定的に描かれる作品を読んで登場人物に感情移入、影響を受けた場合、暴力的になる危険性は高いと思う。

実際、暴力的な言葉にさらされ続けると自分の精神の中での言葉遣いが悪くなったり、いらいらした時に過激な思想を抱くことがある。これはこれで、嫌な気分を自分が悪い、自分がこらえなければ、と抱え込みやすい人にとっては良薬にもなり得ることだ。

 

笑い話として、徹夜でゲームをしていた大学生が、寝ぼけながら学校に向かう途中で「金がないけど途中でモンスターを狩っていけば~…」なんて無意識に考えてしまい、はっと我に返って家に帰って寝た、なんていう話を読んだこともある。

 

ハーレムものの場合、感情移入して影響を受ける先はおそらく主人公だ。

ハーレムものの定番といえば、主人公はニヒルで斜に構えてて、どちらかというとスケベだったり、周りに集う女の子たちにそっけなくしつつ、嫌々ながらも好かれてまとわりつかれて……

ということは、その影響を受けた人物は、ニヒルで斜に構えてて、スケベだったり、女の子たちにそっけなくしたり……って、 モ テ ね ぇ わ !!

 

ああいうものの主人公は大体が実際いたらモテるわけないだろ、っていう性格なのに謎のフェロモンでモテていたり、あるいは没社会レベルの性格でも特殊能力があって活躍することでモテていたり、するから。

 

女の子にモテるかどうか、という部分に関しては他人の感情に起因するものなので、本人が影響を受けているかどうかによって変えられる部分じゃないよね。徹夜でゲームしてたところで街中にお金を落とすモンスターが現れないのと同じように。

 

というか、そういう風に考えて見ると……

 

案外ハーレムものの主人公みたいな性格になってる部分、あるんじゃないかな……

おむつとナプキンとエロ本と

「コンビニにエロ本が置かれているのが不快」→「こっちだって生理用品置くななんて言ってないだろ、こっちは我慢してるのに」→「エロ本と生理用品を並べないでほしい、っていうかなんでエロ本はあるのにおむつはないんだ」

という流れからの論争がツイッター上で勃発しているらしいですね。

 

「エロ本は男の生理用品だ」という言葉を多数見かけて、それに対して、「いやいや、違うし」とおっしゃっている男性も見かけたりします。

 

エロ本と生理用品とおむつを同格に並べるとかそういうのは色んな議論が行われているので特に言いたいことはないですが、

 

生理用品・おむつが不快だ! と主張されているのを見かけるので…

(特に、生理用品に対する嫌悪が目立ちますが)

(震災時に、生理用品は生活必需品じゃない!なんて言われた事件もあったそうですね。)

 

逆に、生理用品がなかった場合、四六時中だらだらと血液を垂れ流し、あちこちに経血の痕跡が付着する世の中になると思うのですが。

おむつがなかった場合も、赤ん坊が排泄をした尻からのひどい悪臭が周囲に充満し、周囲の人々が非常に不愉快な思いをすると思うんですよね。

感情論とかではなく物理的に、社会的に、被害が発生すると思うのです。

勿論本人にとってもそれは嫌なことなので、本人にとっても必需品ではありますが……

必需品であると同時に、エチケット用品の側面もありますよね。

 

「必要な物ではあるらしいけれど性的なイメージを抱くから置かないで欲しい」という意味で言うなら、生理用品の対局に置いてもまあまあ方向性は同じかな?と思うのは、コンドーム辺りではないでしょうか。使用場面をコントロールできるかどうか、というところや、目的に関しては全く差異がありますが。

エロ本よりは妥当じゃないかな、と思います。

 

書いていて思ったのですが、

「あっ、切らしちゃった!やばいやばいやばい来ちゃった、今すぐ買わなきゃやばいやばいやばい!」というのが、小分け売り生理用品・おむつの需要だと思うのですが、このノリでエロ本買う人の姿を想像すると、ちょっと笑っちゃうし、身近にいたら怖いですね。

死にたくないんだけど「お前なんか生きる価値ないよww死ねよwww」←確かに。 と思ってしまう心理状態。

死にたくない。死にたくないんです。

ただ、「死ななくてもいい自分の中で説得力のある理由」が崩壊している。

 

「死ななければいけない説得力のある理由」がぼろぼろ出てくる。

ネット上では、タイトルのような煽り文句も時々結構頻繁に見る。

そういう人たちが、実際に自殺するよー、という人に対して慌てるかというと、「迷惑かけんなよ」「ウケるwwww」と実況を始める様などを見ると、実に……

 

道徳とか、感情論での「命は尊いのでどんな人間でも生きていていい」という論の信憑性が掻き消える。

 

じゃあネットを見るな、と言われても、残念ながら、ネット以外での外部との接触が困難(そもそものきっかけがない・方法を知らない・対面による会話が致命的に苦手)である為、ネットを絶つと外部との関わりが消えて本当にヤバい(消え失せる語彙)。

 

極力、そういう言葉のないコミュニティを探そうと(しかしそこに参加する能力はないので眺めているだけだけれど)はしているのだけれど、それでも、そういったコミュニティに対しての風当たりとして上記の言葉を見てしまうことも多い。

 

そもそも、一度目に入ってしまえば頭に残ってしまう上に、「死ぬべきでは?」という思考に自ら陥ってしまった際に、反証を自分で生み出すことが出来ず、ネットに反証を求めると逆にそういった言葉を読んでその喜ばしくなさすぎる仮説を裏付ける方向に理解が進んでしまう。

 

ごめんなさい。死にたくないんです。ごめんなさい。

 

出来れば、こう、もっと、「だから死ななくても良い」という言説がたくさん欲しい。

罪悪感に殺される。

 

 

もしくは、「だからいらない人間は死ぬべきである」という論を昇華させて、安楽死制度を整備してください。嫌だけど。死にたくないけど。あー、やっぱり死にたくないな。怖いな。

 

 

現状の「生活保護」は、生活困窮者を保護する為というよりも、「生活困窮者を見殺しにする」という罪悪感から人々を保護する為にあるように思う。

そうでなければ「生活保護を受給する奴はクズ」「生産性のないやつは存在する価値がない」なんていう論調は存在しない。

そういう論調を繰り広げるのであれば、そもそも生活保護という制度自体がナンセンスだ。ただ、生活保護をしない、ということになると、確実に餓死せざるを得ない人がたくさん出てくる。(現状も、生活保護が必要なのに受けられない人は餓死をするしかない。これは、保護をする為ではなく、「保護をしている」という建前が欲しい為だと思う。)

 

まあ、そういう選民思想ってめっちゃナチスなんですけど。

道徳的価値観が無視される様を見すぎて道徳的価値観の正当性を信じることが出来ない今、道徳的にアウト、という点が、とても根拠として薄く感じるというか。

個人的な感情としては「嫌」だと思うのですが、(おそらく)自己肯定感の著しい欠如により、自分自身の「嫌だなぁ」という感情の価値が地に落ちている。

 

 

ああ、でも、死にたくない。死にたくないです。許してほしいです。

 

宗教って、そういう、生きていていい、とか、そういう個人間では曖昧であり、論理的な根拠が求めにくいところの根拠を無条件に「神」という絶対的存在に委ねているから、強いなぁ。と、思う。

そして、そういうことを考えてしまう時点で、「神」の絶対性を信じ切ることができないので、宗教に救いを求めることは出来ないなぁ、と思う。

 

こういう記事を書くと、コメント欄とかに「いいから死ねよwwww」とかたくさん並ぶ妄想をして恐怖を感じる。そもそもそんなほどpvがないので基本的には杞憂なのだけれど。

もしも悪意のある人の目に留まって悪意のある人に拡散されたら?

怖い。

 

きっとそんなことがあれば私は腹を立てるだろう。

死にたくない。

 

死ななければと思っているはずなのに???

 

阿呆だよな。

死にたくないので死ななくても良い理由が欲しい。

 

本当、自殺予防策の為には「命の大切さ」なんてありきたりな言葉や「死ぬことのコスト」ではなく、「生きていても良い理由」や「死ぬべきとされている論理への反証」を並べて欲しい。たくさん。たくさん。

 

勿論それを他者に依らず自分の中で確立出来るのが一番なんだけれども。

死にたくないのです。

色々なことを考えている。

が、要約すれば、安定的に生活を維持することができて自分に出来る生産的なことなどないのではないか。という恐怖感と罪悪感。

 

そこから派生して、ならばどうすればいい?というところに。

 

最終的なセーフティネットとして生活保護をあてにしたいと思っていたけれど、それもかなり甘いのだろう。生活保護の需給資格すらないのかもしれない。

 

そうなってくると、もう、死ぬしかないんじゃないか、社会的な意見として、生産性のない青年である私には死こそが義務なのではないか。そんなことが頭をめぐる。

 

そこで、憂鬱になり、自殺について検索をする。

誰にも迷惑をかけずに自殺をする方法などの提唱を読む。

想像する。死が、ぐぐっ、と身近になってくる。

 

死にたくない……

 

本当に怖い。ごめんなさい、死にたくないです。ダメ人間ですみません。

殺すのであれば出来れば極力恐怖や苦痛を感じないように、安楽死をお願いしたいです。でも出来れば死にたくないです。死ななくていい社会が欲しいです。

「声をかけただけで不審者かよ…」について考えた

幼女に声をかけただけで不審者扱い、ということについて批判が出る様子をたくさん見る。

 

・確かに挨拶だけで通報、なんて過敏

 

・ニュースとして発表する際にマイルドな表現にされるだけで、実際には「ハァ、こんにち、ハァ、ハァ、こんにちはぁ…ハァ、ぐひひ」というレベルの声かけだった可能性がある

 

とか、色々読んだり考えたりしたけれど、

よくよく考えたら、成人が知り合いでもない成人に急に声をかけるか?

何故相手が子供であれば無条件に話しかけることになるのだろう。

その地域ではだれでも知らない人に話しかけるんだよ、という状況であれば、むしろ、通報されるまで知り合いにならなかった=話しかけたことがなかったという状況が不自然なのでは?

 

もちろん、悪意があったと断言はできない。

けれど、「相手が子供だから」「相手が女性だから」という理由で話しかけるのであれば、それは少しおかしいと思う。相手が成人男性であっても同じ対応をする人であれば、良い。

 

その対応が相手の属性によるものであれば、考え直した方が良いんじゃないかな。

 

相手が自分よりも下だと思っているから話しかける、というのは、ある種の悪意を含有しやすい。

し、だから、「警戒しやがって!」と怒るのはよくない。

性的に興奮させる格好をしているから性被害に合う、という主張は無茶

昔から、女性の職業にかかわる制服について「性的に見えないように」デザインされた、という経緯のものは多々あるような気がするのだけれど、その「性的に見えないように」デザインされたという要素そのものが「無垢そうな感じがそそる」と言われて、フェチの対象にされているようなことが多いと思う。

肌を隠せば隠すほど、「その隠された素肌を暴くということに興奮する」という方向性が増してしまう傾向を思うと…うーん……

 

刃のよろい でも装備しないとダメなのでは?

発達障害の診断を受けた

というだけの話。

ふとしたタイミングでその症状を知ってから、ずっと疑っていたのだけれど、ずっと疑っているぐらいならはっきりさせよう、と思って、思い切って診断を受けてみた。

 

自閉症スペクトラムADHD適応障害

 

がある、と診断されました。

診断を受けようが受けまいが症状は存在しているので、診断を受けたことで、対策を立てやすくなったのではないかと思います。

 

あぁ、生きやすく生きたい。